選手インタビュー

鹿島への逆輸入、呂比須さんとの出会い、そして未来の留学生へのメッセージ…笠井健太さんインタビュー<後編>

投稿日:2017年4月19日 更新日:

静岡の高校を中退し、ブラジルへ挑戦。17歳からプレーしたサントスを経て、パウリスタに移籍した後は、コパ・リベルタドーレスでリーベルプレートとも対戦。ブラジル経由のステップアップでは成功例とも言える鹿島への逆輸入も果たした笠井健太さんへのインタビュー。後編です。話を聞いた。

笠井健太(かさい・けんた)1985年12月25日生まれ静岡県菊川市出身のDF。幼少期はカナダで過ごし、静岡県立袋井高校を中退後、ブラジルへ単身挑戦。サントスの下部組織を経て移籍したパウリスタでは、コパ・リベルタドーレスに出場。その後鹿島アントラーズへ逆輸入。177cm77kg 前編はこちら⇛http://pronaro.net/2017/04/15/kasai1st/

プロなろ:パウリスタで念願のプロ契約を果たしたわけですが、どういう毎日だったのでしょうか?

笠井:ブラジルはU20までがユース年代です。

僕は19歳の直前でプロ契約したので、トップも出れるし、U20の試合も出れるという状況でした。なので週の前半はトップで練習をやって、後半はU20に合流しするというスケジュールでした。なぜそのようなスケジュールになるかというと、タッサ・サンパウロという大会に出るためです。

タッサ・サンパウロは、20歳以下がプロになるための登竜門のような大会で、世界中からスカウトが観に来ます。ブラジルの若手選手にとっては非常に重要な大会です。

 

 

プロなろ:なるほど。ハードだったんですね。

笠井:それで、20歳直前のときにはタッサ・サンパウロを戦っていましたが、トップはコッパ・ブラジルという日本でいうところの天皇杯のような大会を優勝しました。当時、パウリスタは全国選手権では2部だったのですが、あれよあれよと勝ち進んでいきました。

ちなみに決勝の相手はフルミネンセです。ベンチ外でしたが。

 

 

プロなろ:2部で優勝は凄いですね!

笠井:天皇杯に優勝するとアジア・チャンピオンズリーグに出られるのと同じく、コッパ・ブラジルを優勝すると、リベルタドーレスに出場できます。それで、南米の選手にとって夢の舞台に上がれるチャンスが出てきたんです。

日程は過酷で、1月から4月までサンパウロ州リーグをやって、5月から12月は全国選手権という過酷な日程なのですが、さらにその間にリベルタドーレスが入って南米を行き来する形でした。

それでもブラジル人にとって、リベルタドーレスは本当に憧れの場所で、リベルタドーレスに出るためにパウリスタにも多くの選手が移籍してきて、レギュラー争いはどんどん難しくなっていきました。

 

 

プロなろ:どんな選手がいたんですか?

笠井:この前までベガルタにいたウィルソンは、この大会に出るためにコリンチャンスから移籍してきました。

あとは今フラメンゴでキャプテンをやってる選手、キーパーはこの前のワールドカップで第3キーパーとしてメンバーに入ってたヴィクトルです。あと日本の人にわかるのだと甲府にいたドウグラスとかその他にもブラジル国内では名の通った実力ある選手ばかりでした。

 

 

プロなろ:その中で笠井さんはどのようなプレーを?

笠井:監督が無理難題を言ってくる人で、今週は健太は左サイドね!と言われた次の試合は、右サイドと言われ、その次は3バックの真ん中でプレーして、さらにその次は3バックの左をやらされたりポジションがコロコロ変わる中で一生懸命プレーしていました。

そうしているうちに、リベルタドーレスではアウェイ・アルゼンチンでのリーベル・プレート戦でメンバー入りをして、とてもいい経験ができました。

 

 

プロなろ:すごい経験ですね。

笠井:ブラジルでプレーしたどこのクラブでも共通していたのは、運が良かったのか、どこにいっても日本人に理解がある監督だったのがよかったです。

チームに合流したら、とりあえずはすぐに紅白戦で試してもらえました。他の外国人選手は試してすらもらえないことも多い中で、僕は非常に恵まれていたと思います。

もちろん、その使われた期待に応えられたってのは大きいと思いますが。

人の縁は大事です。パウリスタでやってるときに、トップチームに3,4ヶ月で呂比須ワグナーさんがコーチできました。

「あれ?これ、どっかでみたことあるブラジル人だな?」と思ってたら日本人だった(笑)

呂比須さんも実は、17歳で日本に来日していて、僕と同じような境遇でした。日本人のことも分かっているし、多くのことを学びました。

呂比須ワグナーさんと笠井さん


 

 

プロなろ:日本のサッカーを知っている人がいたのは大きいのでは?

笠井:ただ、呂比須さんは現場ではポルトガル語でしか話してくれなかったです。

みんなの前ではポル語、二人では日本語を使う時もあったけど、でもなるべくポル語。ちょっと日本語使っても気がついたらポルトガル語になっていました。

呂比須さんは本当に厳しい人で、でも厳しさこそが本当の優しさというか、愛というか、自分のことを考えてくれていたなと思います。

ちなみにその時のキャプテンが、アルビレックス新潟でキャプテンもやっていた、アンデルソンでした。

呂比須さんも含めて日本に理解がある人がいたのはよかったです。アンデルソンもオフになれば自宅に誘ってくれて、自分が所有する牧場に連れて行ってくれました。

ブラジルでは牧場一個あれば家族3個ぐらい養える、そこで働きながら飯食える。自給自足に近いですが、スポーツで稼いだお金で牧場を買うのは向こうでは一つの成功です。

自分の得たもので、周りの人の働き口を増やすという感覚でしょうか。キリスト教の文化ですね、分け与えなさいという。

 

 

プロなろ:呂比須さんは日本に来てチャンスを切り開いたわけですが、笠井さんにとっての選択はどちらが良かったのでしょうか?

笠井:僕にとってはブラジルに行ったことが近道でした。日本にいたら全国とか出られない学校だったし、ブラジル行った方が断然レベルは高かったし、壁もたくさんあるけど、チャンスがたくさん転がっていました。

その中でも馴染むことが一番大事だと思います。郷に入っては郷に従えと言いましたが、現地に馴染んで、日本の良いところとブラジルの良いところを全部取っちゃって努力すればいいと思います。

海外って結局、馴染む選手が成功してると思います。本田もそう、長友もそう。

 

 

プロなろ:馴染むって大事ですね。

笠井:僕はゲテモノとかも食えって言われたらすぐ食べてました(笑)あっちからしたら普通の食事ですからね。

カエル、ピラニア、食えって言われたら食う!そんな風に現地に馴染みながらやってたところで、鹿島からオファーがきました。

 

 

プロなろ:カエル、ピラニア、鹿島アントラーズ(笑)

笠井:実はブラジルで1部に上がったチームへの移籍が成立しそうで、次の日サインしようと思っていたタイミングだったんです。そんな時に鹿島からレターが届きました。

当時鹿島の監督だったオリベイラの弟が、パウリスタの監督だったんですね。最初は全然知らなかったんですけど(笑)そういえば、移籍レターが届く前に監督から「お前日本帰りたくないの?」と言われてたんです。あんまり興味ないけどなんて答えてたら、結構いいチームだぜ?って言われて。

それでオリベイラがオフの時に見に来てくれて、話もしてて。そこで鹿島ってことを知ったんです。結構いいチームって鹿島?うそおっしゃい!みたいな(笑)

もともと鹿島は好きだったんです。高校の時に、磐田vs鹿島のボールボーイをやって、みんなは磐田側のベンチ近くをやりたくて盛り上がってたんですが、僕はしれっと鹿島側のベンチ横に行って。

本当に真横だったんで、選手のアップとか間近でやってました。そのときに「高校生?がんばれよ!」なんて話かけてくれたのが本山雅志さんや柳沢敦さん。頑張れって、あなたたちこれから試合でしょ!って(笑)

でもこの人たち、こんなに大勢の観客の前でこんなに余裕なんだ!かっこいい!と思ったのを覚えてます。その頃から鹿島は憧れで、そんなチームからのオファーなので二つ返事で行くことを決意しました。

 

 

プロなろ:ただJではなかなか結果を残せませんでした。

笠井:日本に戻ってきたのは、選手としてのキャリアを考えると失敗だったかもしれません。

大怪我もあったし、ポジション争いの相手も内田篤人でなかなか厳しかったし。でも後悔はまったくありません。

鹿島で出来たのは人生の財産のひとつだし、ブラジルから日本に帰ってくるまでは、成り上がった成功例のひとつだと自信を持って言えます。

 

 

プロなろ:ブラジルと日本のサッカーの違いはどうですか?

笠井:よく、鹿島はブラジルと似てるって言われたりしますが、全然違うと思います。

鹿島の方がチームとして連動できます。ただ、攻撃に関してはブラジルの方が相手のペースの崩し方がうまい。まともにやりあったりしないで、常に相手のテンポを崩していきます。

鹿島は日本でも試合運びの上手いクラブですが、ブラジルは全般的にどこのチームも鹿島のように出来ます。そういう意味では似ているかもしれません。

ブラジルは歴史が長い分、戦術が豊富です。守備では4ー4ー2なんですが、攻撃の時は3ー5ー2っていう奇策はあたりまえです。10分15分でシステムが違うのは気づかれるんですが、そういう駆け引きで相手にペースを握らせない戦いが常にあります。

そういう戦術に当たり前に応えられる選手も凄いです。

日本でもそうやってやってるところももちろんありますが、ブラジルは本当に当たり前にやってきます。

 

 

プロなろ:ブラジルに馴染むために何を意識しましたか?

語学力はマストですね。絶対必要です。そのために遊び尽くしてました。

サッカーやりに来たけど、サッカーだけになっちゃってもダメだと思います。文化とか宗教とか、ブラジルの全てを理解しなきゃいけない。なので、そんなこともあって1年目はめちゃめちゃ遊んでました。

 

 

プロなろ:どうやって遊んでたんですか?

うーーん海に行ってた(笑)

すごい綺麗なお姉さんを眺めて盛り上がってました(笑)悪い遊びはしなかったですよ。あとは買い物に行ったり。

その時に仲が良い友達がふたりいて、ひとりは英語が喋れたんです。彼らはとても面倒見が良くて、その2人暮らししている家に週6でいました(笑)

1年目は監督の家にホームステイしてたんですが、監督はどんどん外行って来い、チームメイトと遊べ、と外国人が国に馴染むことに理解がありました。もちろん、家でサッカーの戦術の話とかもたくさんしたんですが、遊びに行くのは全然怒られませんでした。

 

 

プロなろ:日本からブラジルに留学する選手に何か伝えたいことはありますか?

笠井:ブラジルに行って、一度は絶対何かしらの壁にぶつかります。ホームシック、サッカーが通用しない、言葉の壁、自分が予想だにしていないことが、小さいことから大きいことまで。それを全部楽しむようにすることが大切だと思います。
それでも目標はブレないようにする。遠い目標と近い目標を常に持って、努力を続ける。

日本から留学に行くとインパクトあると思うんですが、ブラジルの財政っていうのは95%が貧しくて、5%が果てしないお金持ちという国です。その5%に入るために、唯一みんなに平等に与えられてるようなチャンスがサッカーなんです。

だからハングリーってだけじゃないっていうか、彼らのことを表すには、ハングリーよりももっと人生がかかってるような言葉が必要だと思う。

もしサッカーで成功したら一家をずっと養える、そういう鬼気迫る、本当に人生がかかってるような言葉が必要です。

僕は高校を中退したので、中卒。今考えればなんてことないですが、日本で言えば弱者になりうるような方を選びました。だから、ある程度彼らの気持ちとかを体感させてもらえたかもしれません。

そうやって厳しい状況で這い上がって、トップに上がるともう全てが全然違います。成功ってこうやって勝ち取ってくんだなってリアルにわかります。

ブラジルでは芸能人よりサッカー選手のほうがもてはやされるぐらい、富も名誉も勝ち取れるのがサッカー。そういう意味では、やりがいは絶対あるし、日本からの留学生も、そうやってステップアップすることを夢見て、苦しさも楽しんで頑張ってもらいたいです。

 

 
 

 

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